生まれる前の記憶

(お風呂の入るとき、大好きな木製バスを持って入ろうとするので)
「バスは濡れると壊れちゃうから待っててね〜しようね。」


  『ユウトは濡れると壊れる?』


「ユウトは壊れないよ。だってママのお腹の中でお水に入ってたでしょ?]


  『こうやって・・・(しゃがんでいるママの膝にお腹を乗せて足を上げる)』
  『おばけがプカプカ』


(えーーーーっ。お腹の中の話って本当に覚えてるんだ〜!!確か1回しか話さないって聞いたことがあるよなぁ。今なの??いや、まだ心の準備がぁ〜 パパにも聞かせてあげたいし、ビデオとりたかったのにー。と準備の整わないママはドキドキ)
「さ、お風呂に入ろうか。」


  『ユウトお話してるから!』


「わかったよ。お話聞かせてね。」
(もうここは聞くしかないわ!よし、メモだ!)


  『えーっとね、学校に行かれなかったの。お散歩に行かれなかったの』
  『それから・・・・おおかみ。おちんちん。』
(おおかみ→怖いものの総称。この二つは言葉が出てこないときよく言う)


「ユウトがママのお腹にいたときのこと、お話してくれてありがとね。ママ嬉しかったよ。」


  『(ニコニコっとして)こうやってブラーんてやってるの(腕をブラブラさせて歩き回る)』
  『お腹の中のー、小さな卵に入ってるの。ここ(自分のおへそをさす)』
  『ごっくんってね、聞こえるの』


覚えてるんだ。お腹の中にいたときのことも。
なんだか目の前にいる自分の子どもが「天からの授かりもの」なんだなあと実感して、とても崇高な存在に感じてしまいました。


散歩に行かれなかった、という否定形、やっぱり。と思う。
産んでから「赤ちゃんがお腹にいるときは常に意識を向けてあげる。日常の何でもないことをお話してあげるといい。これを食べたい!とかこうしたい!とか赤ちゃんが言ってくる通りにしてあげるといい」という話を知って大ショックだったのです。
なぜってユウトがお腹にいる時は、仕事が最大ピークの盛り上がりで、大きなお腹で実験をバリバリしたりパソコンでシミュレーションしたり(妊婦に目の疲れは禁物なのに!)、「あぁ、妊娠しているのを忘れてたわ」なんて時がけっこうあった。
だからこの話を聞いたとき、ユウトはお腹の中で居心地が悪かっただろうな、ユウトの要求には何も応えてあげられなかったな、ユウトが眠るのが苦手なのは眠るとママに忘れられてしまう不安があるからじゃないかな、と思った。


今からお腹の中をやり直すわけにいかないしね。
くっついたり抱きしめたりスキンシップをとりまくりの、いつでも心をかけてあげて安心感を持ってもらうしかないなぁと思ってる。


そんなことまで思い出しつつの夜。
なんだかウルウルしてしまいました。